以上 2021/02/09(火) に追記しました。
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この blog ポストには写真をすごく沢山貼ったので、使いにくい SeeSaa の写真アップロードの機能を使うのを諦めて、cool.ne.jp というレンタルサーバーに写真を置いて記事を公開したのですが、cool.ne.jp が楽天に買収されて、無責任企業の楽天は、少ししてサービスを廃止してしまった (廃止するなら買うなよ…) ので、写真がしばらくリンク切れのままとなっていました。
その後、この奥村の貧乏暇なし Blog のバックログ全体を WordPress の blog に以降して、このページの写真については、移行後の WordPress のページで復旧させました。写真の貼られた状態でちゃんとこの blog ポストをごらんになりたい場合、以下のリンクから WordPress blog の該当ポストをごらんください。
さよなら銀河 and 余部鉄橋ツアー at 奥村の貧乏暇なし Blog / WordPress
以上 2016/07/12(火) に追記しました。(さらに 2021/02/09(火) URL を修正しました)
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寝台急行銀河が廃止になるというニュースを聞いて、2008/01/19(土) 〜 01/21(月) に乗り納めに行って来ました。往復銀河の 0 泊 3 日旅行です。
まずは相模原から東京駅へ行きます。銀河は 23:00 発ですが、明るいうちに移動して色々写真を撮ったりしました。
その後、上野駅へも移動して写真を撮りました。
銀河で大阪に到着後は、帰りの銀河までの時間を利用して、余部鉄橋を見に行ってきました。
むちゃくちゃ長いですが、銀河、余部鉄橋、東京駅、上野駅、大阪駅という順番で書いてみました。
実際に廃止される 2008/03/14(金) までには、この日記を書き上げたいと思っていたので、なんとか間に合ってよかったです。
銀河 (往路)
そんなわけで、東京駅から銀河に乗車です。23:00 発なのに 22:27 にホームに上がっていくと、なんと既に入線していて、入線時の写真を撮ることができませんでした。以前は同じ出発時刻でももっと遅い時間に入線していたはずなのですが、少し前に 22:23 に変わったんだそうです。22:00 には一度ホームに上がって、サンライズ出雲の写真を撮ったりしてたのですが、まだ時間があると思って食料調達に行ってて、入線を見逃してしまいました。入線の様子も見たいと思っていたのに、失敗しました。
もうすぐ廃止される銀河は、いまや鉄道ファンにとってのスターなので、ホームには私のように実際に乗車する人だけでなく、写真撮影だけを目的にしていると思われる人も多数詰め掛けていました。最終日が近づくにつれて、さらにものすごい事になっていくのでしょう。
銀河に群がる人々
下り銀河のテールマーク
このテールマークを入れた編成写真を撮る時も左右は同じように写真を撮る人でいっぱいです。少し後ろに下がるとこんな感じです。
銀河に群がる人々
北斗星同様、銀河の車体もボロボロです。JR はブルートレインの車両に関しては、運行に耐えるぎりぎりの線以上には整備する気がないようです。可哀想な銀河ちゃん...
ボロボロの車両
入線後機関車が回送されて連結されます。東京駅は機関車との連結部より前は立ち入り禁止なので、後ろの柵に大勢の人が群がって連結作業を見守ります。
機関車連結作業
北斗星同様銀河の電源車の荷物車兼用ですが、荷室には何もありませんでした。
荷物室は空っぽ
入口は昔の車両っぽい段差があります。銀河は車両の償却コストは 0 円で、単独では決して赤字ではないと思うのですが、銀河を存続させるには、バリアフリー関連の規制が法制化されて対応を進めなければならないため、そのための車両更新のお金を出せるほど儲かってもいないというような事も、廃止の判断につながっているものと思われます。
入口の段差
B 寝台車の通路は、昭和の薫りが漂っています。まぁ、この通路に限らず、銀河は全て昭和の薫りに包まれています。
B 寝台の通路
今回お世話になる B 寝台下段です。今回は座席の状態のままシーツなどは畳んで置いてありました。かなり前に乗った時は、乗車した時点でシーツ、ふとんが広げられて寝台の状態に既になっていたような記憶があるのですが、私は何かと混同しているのでしょうか?
B 寝台下段寝台
B 寝台上段は、折りたためる構造の車両もありますが、この車両の形式は、折りたたむ事ができない構造です。このタイプの寝台は、上段からは窓の外の景色が全く見えません。
B 寝台上段寝台
B 寝台の通路には簡易座席があります。
通路席 (たたんだ状態)
通路席 (広げた状態)
通路席でくつろぐ人々
座席として使う時は肘掛になっている部分は、机として使う事もできます。
枕元机 (たたんだ状態)
枕元机 (広げた状態)
寝台列車なのでトイレは普通の特急車両より数が多く、各車両毎にあります。和式でしたが、個室は 2 つあったので、もう 1 つは洋式になっているのかも知れません。
和式トイレ
トイレの網棚
トイレ内も昭和そのままという感じなのですが、なぜかトイレットペーパーホルダーだけが妙に新しくなっていました。もしかして以前はペーパーが設置されていなくて、自分でティッシュを持ち込まないと行けなかったんでしたっけ?
妙に新しいペーパーホルダー
洗面台も車両に 2 つづつあります。朝はそれなりに込み合います。蛇口は車両に積まれている水の量に限りがあることから、流しっぱなしにできないタイプになっていて、さらにお湯の方はそれなりに熱いので、なかなか操作が難しいカランです。
使いにくいカラン
東京駅で駅弁を食べてあったのですが、お腹が減ると思って軽食を買っておきました。肉の万世のかつサンド、その名も「万かつサンド」です。シンプルながらなかなか美味しくいただけました。
万世の万かつサンド
朝食も東京駅のサンピエロで買っておいたパンです。
サンピエロのポティッテェ
興奮して寝れないかと予想していましたが、意外にちゃんと寝れました。大津の少し前で目が覚めました。京都をすぎたあたりで身支度を整え定刻どおりに大阪到着。乗車時間が短くて、さよなら乗車には物足りない感じが残ります。
お世話になった寝台
大阪駅でも大勢の人が写真を撮っていました。
銀河に群がる人々
大阪駅の出発案内板には、到着列車である銀河の名前がちゃんと書いてありました。普通到着列車は「当駅止まり」ということだけ書かれて、列車名は出ていないと思うのですが、大阪駅は全部の列車がこうなのでしょうか?
銀河の当駅止到着表示
銀河 (復路)
大阪へ銀河で到着した日の夜、大阪から再び銀河で帰ります。大阪駅に入線してきた時も銀河は大人気で、大勢の人が写真を撮るために群がっていました。
銀河に群がる人々
発車 40 分ぐらい前に入線してくる東京駅と違って、入線するとすぐに発車してしまいます。乗車する人が写真を撮るのはなかなか大変ですが、私も群がる人々に混じり、これから最終乗車となる銀河ちゃんの勇姿を撮りました。写真はコンパクトデジカメなので大した写真が撮れるわけでもなく、こんな程度です。
上り銀河のテールマーク
もうすぐ見れなくなる急行銀河東京行きのサボ
この日の銀河のカマは EF 65 1106
復路は A 寝台下段を奢りました。通路の左右に寝台が並んでいます。
A 寝台車の通路
往路の B 寝台はシーツが敷かれていませんでしたが、こちらはシーツが掛けられた敷布団のようなものが既に敷かれていました。これは A 寝台だからなのか、大阪発の列車だからなのかは不明です。
A 寝台下段寝台
私は A 寝台は上段には乗ったことがありますが、下段は初めてです。B 寝台に比べると、A 寝台はベッド幅が広くてなかなかいい感じです。A 寝台下段は向かい合わせの椅子をそれぞれ引き出して、座面だった部分と背もたれだった部分を平らにしてベッドにしているので、完全な平面ではなく少しデコボコしていますが、思ったほどではありませんでした。上段には小窓しかないのに、下段は大きな窓を独占できます。
A 寝台でくつろぐ奥村
入口側 (2 号車側) の車端には、ミニ・ロビーがあります。前回銀河の A 寝台 (上段ですが...) に乗った時もこのロビーに来るのを忘れていて、下車間際に見て「次回はここも使うぞ」と思っていたのに、今回も結局乗る時に見てたのに、使わず仕舞いでした。しまった...
A 寝台車車端のミニ・ロビー
A 寝台車の洗面台は、使いにくい旧式の蛇口のままだった B 寝台車と違い、自動水栓になっていました。
A 寝台車の洗面台
洗面台のあるデッキ部分には、水量計がありました。ほぼ満タンです。
水量計
帰りも意外によく寝れて、起きてしばらくすると大船でした。横浜を過ぎたあたりで身支度して、ほどなく東京到着です。あっと言う間の、さよなら銀河乗車でした。
東京駅で銀河のサボが回送になるまで回している途中で、あさかぜの文字が一瞬見れました。
東京駅で一瞬見れたあさかぜサボ
2008/01/20(日) 夜出発の銀河で帰ってきたということは、この日は 2008/01/21(月) で平日です。このまま会社に行ける時間ですが、銀河では興奮して寝れないだろうと思っていたので有給休暇を取ってありました。ラッシュには少し早いのですが、東京駅近辺は金融系の会社も多いためか、けっこうな混雑でした。丸の内オアゾの地下を歩いていたら中華粥屋を見つけたので、そこで軽く朝食を食べてから帰りました。
中華粥で朝食
こんな感じで、さよなら銀河の旅は終わりました。銀河ちゃん、バイバイ。
余部鉄橋
往復銀河に乗ることだけが目的のこの旅行ですが、大阪でまる一日時間があります。どこで時間を潰そうかと考えた結果、餘部駅まで往復して、余部鉄橋を見に行く事にしました。新しい橋の工事が始まっていますが、まだ基礎などの工事だけなので、全体が見れる最後のチャンスでもありました。
大阪からは北近畿で城崎温泉へ向かいます。行先別にどんどん新造車を作っている JR 東日本と違って、JR 西日本は物持ちが良いというか、ケチというか、エコロジーというか、国鉄時代の特急電車 183 系がバリバリ活躍中です。(エコロジーという点では、エネルギー効率は最近の車両より悪そうですが)
北近畿 183 系電車
北近畿の 183 系電車には、日本国有鉄道のプレートがついたままでした。
日本国有鉄道のプレート
車内に入ると、1 席ごとについているヘッドレストカバーに「北近畿ビッグネットワーク」のロゴが入っています。
北近畿ビッグネットワークのロゴが入ったヘッドレストカバー
このヘッドレストカバーは、チケットホルダにもなっています。ここに特急券をはさんでおけば、寝てしまっても検札時に邪魔されないというわけです。盗まれちゃいそうな気も少しします。
チケットホルダ
北近畿はけっこうたくさん走っていて、何度もすれ違います。乗客も多く、儲かってそうな感じです。
別の北近畿と行違い
城崎温泉へ到着する直前、山陰本線は円山川という川の左岸を走りますが、川の大きさにしては大きな土砂運搬船が走っていました。流れのある川で、こんな重そうなものを曳いて走るタグボートの操船は難しそうです。スゴいなぁ...
円山川を行く土砂運搬船と、それを曳くタグボート
城崎温泉からは気動車 (ディーゼルカー) の普通列車に乗り継いで餘部駅を目指します。
浜坂行き普通列車
ローカル線でほとんどが無人駅であることもあり、路線バスのように整理券発行機がついたワンマン運転です。入口はローカル線であることに加え、北国なので、当然のドアボタン付きです。
ワンマン、かつ、ドアボタン付の列車
車内は意外に込み合っていて座れませんでした。どうせ前方の景色を見るため立っているつもりだったのですが、構造的に前方が見にくい車両である上に、先頭のいわゆる「かぶりつき」の場所には既に先客がいたため、横の窓から時折見える日本海などを眺めていました。そうこうするうちに、餘部駅の 1 つ前の鎧駅に到着です。
鎧駅
鎧駅を出て 2 つほどトンネルを抜けると、そこは余部鉄橋の上です。
余部鉄橋の上から撮った写真を後で見返して見ると、後で鉄橋の全景写真を撮影する時にどうしても写りこんでしまっていた小学校や、新しい鉄橋の工事現場などが見えていました。
余部鉄橋上の車両からの風景
余部鉄橋上の車両からの風景
進行方向左手前方の山の中腹には、余部鉄橋撮影ポイントとして知られるお立ち台があり、カメラを構える人が数人いるのが列車から見えました。
余部鉄橋上を走る車両から見た鉄橋撮影ポイント
鉄橋はあっという間に通過し、餘部駅に到着です。ローカル線のひなびた駅なのに、けっこうな人数が降りました。
餘部駅
駅舎は、いかにも地方の無人駅という感じの掘っ立て小屋だけで、昭和の残像のような感じです。ゴミ箱がちゃんと分別回収対応になっているのが不思議に感じられるほどでした。
餘部駅のゴミ箱
餘部駅ホームから来た方向を見ると、そこに余部鉄橋があります。こうやって見るとあまり鉄橋があるという感じがしませんが、ホームの尽きたあたりから先はすぐに鉄橋です。
餘部駅ホームから見た余部鉄橋
駅から出て少し下ったところから撮った余部鉄橋です。鉄骨トラスがステキです。
余部鉄橋
駅の山手側には、先ほど列車から見た有名な撮影ポイントへの上り口があります。
余部鉄橋撮影ポイントへ登り口
撮影ポイントへ上っていくと、ちょうど特急はまかぜが通過するところでした。私は餘部駅の時刻表しか把握していなくて、この 30 分ぐらい後にくる普通列車を撮影するつもりだったのでのんびりしていたら、餘部駅を通過する特急列車が来たので、あわてて撮りました。なので、この写真は撮影ポイントまで上りきれておらず、少し下の上り道の途中から撮影しています。あと、駅の近くで 50 歳代ぐらいのサラリーマン風の人に「もうすぐ列車が通過するんですか?」と聞かれて、「いえ、30 分ぐらいは来ませんよ」って答えてしまいました。その人は車でたまたま通りがかって、駅まであるいて上がってきたようなのですが、そんなに待てないという感じで、そのまま余部の街へ下りていってしまいました。たぶん下りる道の途中で特急列車の通過を見て「だまされた」と思ったはずですが、私は本当にこの列車の通過の事は知らなくくて、次の列車は 30 分後の普通列車だと思っていたので、だましたわけではないのです。ごめんなさい。
余部鉄橋を通過する特急はまかぜ 181 系気動車
はまかぜが通過すると、撮影ポイントにいた人々は全員降りてきて、その人々と入れ替わりで撮影ポイントへ上がりました。撮影ポイントには誰が作ったのか木製のテラスのような構造物があり、そこに三脚を立てていい感じで余部鉄橋の写真が撮れます。
鉄橋撮影ポイントのお立ち台
しかも親切な事に、通過する列車の時刻表が掲示されています。
鉄橋撮影ポイントにある便利な時刻表
そして、撮影ポイントから撮った写真です。この構図はとてもスバラシイのですが、あまりにも見たことがありすぎて、はじめてここに来たのに、まったく新鮮に感じられませんでした...
鉄橋撮影ポイントから見た余部鉄橋
有名な構図を撮影したところで、余部の街へ下りてみます。駅へは車でこれるような道はなく、簡単に舗装されてはいるものの、登山道といってよいような小道があるだけです。
餘部駅から集落へ下りる道
この道は余部鉄橋の下をぬうように下っていき、途中からも鉄橋の姿が良く見えます。
餘部駅から集落へ下りる道の途中から見る余部鉄橋
餘部駅から集落へ下りる道。くねくねと橋の下を 2 回くぐる
余部鉄橋の真下をくぐる場所から橋を見ると、その構造が非常にいい感じで見れます。
幾何学的な模様が美しい橋脚
餘部駅から集落へ下りる道をさらに進んだ所から見た余部鉄橋
餘部駅から集落へ下りる道をほぼ下りきった所から見た余部鉄橋
下りきると、余部鉄橋の基部を見ることができます。
余部鉄橋の基部
鉄橋の構造はボルト締めとなっているところもありますが、リベット打ちの部分もかなりありました。当時はリベットの方がおそらく一般的だったと思うのでボルト締めの部分は、後年の補強工事によるものなのかなというのが私の推測です。本当のところはどうなんでしょうか?
リベットも使用されている余部鉄橋の基部
こちらは餘部駅の自転車置き場です。坂の上に作ると、上っていくのがあまりに大変だということなのでしょうか、坂を下りきった場所に設置されていました。
餘部駅の自転車置き場
余部の集落を歩くと、街の上に鉄橋があり、とても不思議な印象です。
集落から見上げる余部鉄橋
真下から余部鉄橋を見上げる
建物のすぐ近くに建つ余部鉄橋
橋の全景を撮りたくて、国道 178 号を内陸側へかなり歩いてみました。しかし小学校の校舎で隠れてしまう部分が大きく、橋全体を上手く撮ることができません。
内陸側から見る余部鉄橋
田んぼの中にも舗装路が続いていたので、そこも歩いてみました。圃場整備記念という碑があるところまで行ってみましたが、やはり写真撮影をすると小学校の校舎でかなり広い部分が隠れてしまいます。
内陸側から見る余部鉄橋
少しまわりこんでみましたが、あんまり橋の全体がわかる写真にはなりません。
内陸側、小学校上手から見る余部鉄橋
小学校の校庭に二宮金次郎像がありました。余部鉄橋とこの像はどちらが先にできたのでしょうか。
小学校校庭の二宮金次郎像と余部鉄橋
余部鉄橋の近くへ戻り、余部鉄橋列車転落事故の慰霊碑を見つけました。国道 178 号に面したところにあります。現在の余部鉄橋のすぐ南側にあるので、新しい鉄橋の工事区域に入ってしまうのではないかと思います。工事は慰霊碑を避けるようにも実施できそうですが、移転になるのかも知れません。ソフトウェアを扱う情報工学は実際にモノを作る人に比べると本当に「ソフト」で、いい加減な学問ですし、私が扱うような種類のソフトウェアは人の生死に関わるようなことはありませんが、仮にも工学を学んだものとしては、こういった事故の慰霊碑は、見かければなるべく参拝しておくようにしています。事故の犠牲となった方々の冥福をお祈りしました。
余部鉄橋列車転落事故慰霊碑
この時点で 14:00 をまわっています。お腹もそこそこ空いてきたので、慰霊碑の横に「cafe de かあら」という喫茶店があったので、そこに入ってみました。この店では無理を言って電源を貸していただき、かなり電池残量が心もとなくなっていたデジタルカメラを充電させてもらうことができました。ありがとうございました。この店では余部鉄橋物語という駅弁を売っています。喫茶店っぽい軽食でも、と思って入ったのですが、これは記念になると思って駅弁のセットを頼みました。
余部鉄橋物語弁当 ランチ 1,250 円 (弁当 999 円 + コーヒー)
余部鉄橋のすぐ近くにあるので、窓からは外を見上げると、そこに「でで〜ん」と余部鉄橋があります。
cafe de かあら店内から見る余部鉄橋
昼食を終えてさらに鉄橋見物を続けます。ご存知の方も多いと思いますが、余部鉄橋は架け替えが決定していて、既に新しい橋の建設工事が始まっています。橋のすぐ南側では、新鉄橋の基礎工事をやっていました。
新鉄橋工事現場
余部の街には、永尾山長橋寺という、集落の大きさのわりにはかなり立派なお寺があります。ここの三門は小ぶりですが、なかなか見ごたえのある彫り物がされていました。
永尾山長橋寺三門の見事な彫り物
三門のある場所からも余部鉄橋が見えます。
永尾山長橋寺三門と余部鉄橋
長橋寺の横には墓地が広がっています。ここからも橋が見えます。地元の人の想いは簡単にはわかりませんが、ここに住む人にとって、橋は常にそこに存在するものなのでしょう。
墓地前の通路から見る余部鉄橋
墓地には、墓地の上の方へ続く道がありますが、そこに立ち入っての写真撮影はしないようにとの掲示がありました。先ほどから橋の全景を撮ろうとすると小学校の建物がどうしても入ってしまうということを書いていますが、この道の上からならば、角度的に橋のほぼ全景を撮れそうです。私は正直言って少し悩みましたが、写真を撮ることだけでなく、この先へ進むこと自体を遠慮することにしました。
墓地の上へ続く階段からの写真撮影を遠慮するよう求める掲示
Wikipedia には余部鉄橋の全景写真があります。その写真はおそらくこの上から (当然許可を得てのことと思います) 撮影されたもののようです。この上に行くと、こんな感じで見えるようです。(下記のリンク先に写真があります)
余部鉄橋全景写真 (Wikipedia)
その後、さらに全景を撮影できるところがないかと歩きまわって、海側の堤防の先へも行って見ました。海側からだとあまり大きな建物はないのですが、堤防より下がることはできないので、私のコンパクトデジカメのレンズでは全景を入れることはできませんでした。
堤防から海越しに見る余部鉄橋
ただ、海側から見るとちょっとした発見がありました。発見と言っても考えてみれば当たり前の事なのですが、余部鉄橋につながる線路が、山の中腹に続いているのが見えるのです。この写真だとかなりわかりにくいのですが、橋の延長線上にコンクリートの構造物があるのが、何とかわかるかと思います。
余部鉄橋の鎧駅側
こんな感じで余部鉄橋を撮るためだけに半日歩き回りました。銀河に乗るために帰らなければならない時間となり、餘部駅をあとにしました。
餘部駅駅舎内で記念撮影
大阪への帰りは、往路と違い、鳥取経由でスーパーはくとで帰ります。餘部駅から再び気動車の普通列車に乗り、浜坂駅で乗り継いで、鳥取駅へ向かいます。
浜坂駅で乗継
鳥取駅からは気動車特急スーパーはくとに乗車です。
スーパーはくと
特急車両とはいえ、気動車の車内はやはりディーゼル排気で臭いのでは、と思って乗ったのですが、意外なことに、排気のにおいが全然しません。ディーゼルエンジンの音がむちゃくちゃやかましい以外は、振動もにおいも電車並みでした。気動車も進化してるんですね。
乗ったのは普通指定席なのですが、なぜか 2 列目だけ大きな椅子がついていました。なぜなのかはわかりませんでした。
少し大きいスーパーはくと 2 列目の座席
少し大きいスーパーはくと 2 列目の座席
また、禁煙席に乗ったのですが、座席には灰皿がついていました。車両の新しさや、車内にタバコ染みが全くないことから、この車両は新造時から (あるいはアコモデーションの全面改装を行っていたとしたら、その時から) 禁煙だったはずなのに、なぜ灰皿をわざわざ設置したのでしょうか。もしかすると、見た目では新しくみえた椅子ですが、JR から古い特急列車の椅子を払い下げてもらって、表面だけ張り替えて使っているのかも知れません。
灰皿付きの座席
東京駅
銀河に乗るまでに東京駅で駅舎や列車を見物しました。
中央線ホームから見る丸の内駅舎北口の仮屋根です。仮と言っても戦後はずっとこの姿で、私にとってはこれが東京駅の姿なのです。今さら元に戻すといわれてもなじめないし、この形はけっこう好きだったりもするのですが、復元工事はもう始まってしまいました。このシンプルな屋根は、もうしばらくすると見れなくなってしまいます。
丸の内駅舎北口仮屋根
駅舎の内側でも工事をしていました。
丸の内駅舎ドーム内で開始された復元工事
駅舎の前の広場もかなり広い範囲が囲われて工事中でした。全然関係ありませんが、駅前ロータリーって、左側通行の日本では普通右回りで、駅を背にして立つと、車は右から来るのが普通ですが、なぜか東京駅の駅前ロータリーって、左側から車が入ってくる構造になっていますよね。そこまでオランダの真似をしたっていうことなんでしょうか?
工事中の東京駅
中央線ホームの真下の通路には CD ショップがありますが、ここには場所柄か、鉄道 DVD & CD コーナーがありました。とても充実しています。
鉄道 DVD & CD コーナー
だいぶ時間に余裕があるので、東京駅に残る歴史の跡も少し見物してきました。原首相と浜口首相遭難現場の碑です。原首相遭難現場は、東京駅丸の内南口ドーム内 (改札外)、浜口首相遭難現場は、コンコースの中で、新幹線への乗り換え改札へ向かう幅の広い階段状の部分の近くにあります。
どちらも現場の床は茶色い床材がはめ込まれていて、近くに由来を書いたプレートがあります。
原首相遭難現場
浜口首相遭難現場 (新幹線改札側の幅の広い階段の途中
から撮影)
東京駅の東海道線 10 番ホームは、行先には遠くの地名が並び、旅情を感じる、やはり特別なホームです。
大阪・出雲市・高松・大分・熊本方面
今回 2008/03/15(土) のダイヤ改正で銀河が廃止となるわけですが、寝台特急富士とはやぶさも、次回 2009/03 のダイヤ改正で廃止になるとのもっぱらの噂です。旅への期待を感じさせるこれらの乗車位置標識も、もうすぐ見納めとなります。
寝台特急富士の乗車位置標識
寝台急行銀河の乗車位置標識
このホームからはかつては、さくら、あさかぜ、富士、はやぶさ、出雲といった寝台列車が次々と出発して行っていたのですが、現在は併結されて 1 本の列車になってしまった富士とはやぶさ、サンライズエクスプレス、そして廃止の決まった銀河の 3 本しかありません。その最初の列車、富士・はやぶさが入線してきました。
はやぶさのテールマーク
はやぶさの行先表示板
富士の行先表示板
富士のテールマーク
富士のテールマークの写真に写っている EF 65 は入線時に富士・はやぶさを曳いてきた機関車です。
そして東海道寝台列車唯一の希望、サンライズ瀬戸・出雲 285 系電車です。JR は 285 系の予備編成で臨時列車サンライズゆめを時々走らせています。285 系を増備して、サンライズゆめを、現行銀河のダイヤで走らせてくれるのではないかというのは、多くの鉄道ファンが持っている希望だと思います。
サンライズ瀬戸・出雲 285 系寝台電車
10 番ホームの向かい側は東北・上越・長野新幹線のホームです。10 番ホームで東海道線の列車を撮っている間に新幹線の車両も色々出入りしていましたが、やはり気になるのはこの電車です。
200 系新幹線電車
200 系もだんだん廃車されていっているですし、このカラーリングは確か復活させたものだったと思いますが、これもまもなく見れなくなってしまうのでしょう。
銀河には食堂車はもちろん、車内販売も、自動販売機もありません。出発するとすぐに減灯してしまうという事もあるので、駅弁を買って、東京駅で食べてしまう事にしました。今回買った駅弁は、「鉄子の旅プロデュース日本縦断弁当〜まるごと北海道編〜」です。
鉄子の旅プロデュース日本縦断弁当〜まるごと北海道編〜
日本縦断弁当の中身
駅弁なのに漫画付きです。
日本縦断弁当付録の漫画
上野駅
銀河が出発するまではかなり時間があったので、上野駅でも列車見物をしてきました。
上野駅といえば、パンダと石川啄木の碑です。
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ふるさとの 訛なつかし
停車場の 人ごみの中に
そを 聴きにゆく
啄木
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私は東北出身ではありませんが、奈良出身の田舎者なので、この故郷を想う詩を見ると、なんとなくじ〜んとしてしまいます。
石川啄木の詩碑
他の駅ではあまり見ませんが、上野駅の 16、17 番ホームは特急専用で、特急券を見る改札が付いています。ホームの上には飾りのアーチがあり、ちょっと立派な感じになっています。
特急専用 16、17 番ホーム
ここから、常磐本線、上越本線 (高崎線) 方面へと色々な特急列車が出発して行きます。JR になってから行先別に色々な特急車両が作らるようになりましたが、ひたちに使われている 651 系電車はその端緒となった電車で、この列車の写真を見た時は「国鉄ではなくなったんだなぁ」と強い印象を受けた事を覚えています。
フレッシュひたち 651 系電車
スーパーひたち 59 号勝田行?
スーパーひたち 653 系電車
一方こちらは 185 系電車です。特急から各駅停車まで使いまわせる車両というのは運用側には都合がいいのでしょうが、やはり内外装とも見劣りします。JR になってから急行が削減されて特急化されたり、逆に廃止されたりしていますが、このような中途半端な特急は急行に戻して料金を安くすればいいと思います。
あかぎ 185 系電車
上野駅の 13 番ホームもまた特別なホームです。カシオペア、北斗星、あけぼの、北陸といった長距離夜行列車が出発していくこのホームには独特の雰囲気があります。ホームそのものが持つ雰囲気や、あまり列車が出入りしない事などもそうなのですが、やはりそのホームに居る人が、遠くへ行くという「旅」の雰囲気を作っているのだと思います。この日はカシオペアは札幌発が運行されている日だったので見れず、北斗星とあけぼのだけを見てきました。
北斗星 1 号 (JR 北海道編成)
いまや絶滅危惧種となってしまった食堂車が連結されています。かつては東京駅発の九州方面寝台特急も食堂車が連結されていたのですが、利用率が低いということでメニューがどんどん簡略化されて、そのためさらに利用率が下がる悪循環の末に完全廃止されてしまいました。北斗星の食堂車は高級化することで生き残ったわけです。こうやって見るとやはり夜行列車に食堂車は似合うなぁと思います。出発時に食堂車の従業員の人が車内に並んでホームに向かって挨拶をしてくれるのも非常に雰囲気があります。
北斗星 1 号 (JR 北海道編成) 食堂車
憧れの列車だったはずの北斗星ですが、車体のメンテナンスはいい加減なもので、塗装がはがれてボロボロのまま運用されています。それなりに高い料金を取る列車なのですから、こういう部分はちゃんと塗装し直して、よい車体状態を維持してもらいたいものです。
ボロボロの北斗星 1 号 (JR 北海道編成) 車両
こちらは北斗星 3 号の食堂車です。ちょっと現代的な感じの内装で、北斗星 1 号の食堂車とは雰囲気が違います。JR 北海道の車両である北斗星 1 号の方がいい感じがします。
北斗星 3 号 (JR 東日本編成) 食堂車
北斗星の電源車は荷物車でもあります。かつては実際にそれなりに荷物を運んでいたそうですが、現在はこれらの列車で運ばれる荷物はほとんどありません。でも少しは残っているようです。
ちゃんと荷物も運んでいるカニ 24
上野駅 13 番ホームはカシオペアや北斗星の出発ホームということで、列車を待つためのスペースがあります。五ツ星広場という立派な名前とは裏腹に、吹きさらしの場所に椅子が並んでいるだけで、豪華列車の旅に出かける気分を盛り上げるどころか、台無しにしてしまうような寂しい施設です。ガラスで仕切って駅弁やお茶を売る売店を併設するなど、改善してもらいたいものです。
五ツ星広場
北斗星の後には、あけぼのが出発して行きます。この後北陸も発車するのですが、北陸を見ていると銀河に間に合うように東京駅へ行くことができないので、今回の上野での列車見物はあけぼのが最後です。
あけぼのテールマーク
あけぼのヘッドマーク
あけぼのはガラガラなんだろうなと予想していたのですが、不思議なことに、8 割程度の乗車率でした。大宮あたりから乗ってくる人もいるはずなので、ほぼ満席だったようです。寝台特急がどれもいつもあんな調子なら廃止論なんて出てこないはずなのですが、なぜこの日のあけぼのはあんなに混んでいたのでしょうか。不思議です。
あけぼのには「ゴロンとシート」という車両が連結されています。以前鉄道関係の雑誌で見ていたはずなのに、実物を見るまでなぜかお座敷列車のような車両と勘違いしていました。実際は 2 段式 B 寝台そのものです。でも寝台用のシーツ、掛け布団、枕などが準備されていません。なので名目上は「座席」なのですが、実際の形状は B 寝台なので、横になって寝れるという車両です。この車両もほとんど満席でした。
あけぼのゴロンとシートマーク
あけぼのゴロンとシート
横になれるのはいいかも知れませんが、なんとなく寒そうな感じです。
あと、13 番ホームは昼間は通常の東北本線 (宇都宮線)、上越本線 (高崎線) の列車も発車するので、他のホーム同様所要時間案内表示があります。でも不思議なことに全く同じ内容の表示板が 2 枚ずつセットで掲示されています。よく見比べてみましたが、2 つの内容に違いは見つけられませんでした。非常に不思議です。
上野駅の所要時間案内表示板
大阪駅
銀河の到着駅、大阪駅も少し見物してみました。
大阪駅は見慣れない列車が多くて面白いです。こちらは臨時特急「かにカニエクスプレス」です。列車名がイカしすぎです。みどりの窓口で「かにカニエクスプレス」の指定券くださいって言うのは、けっこう恥ずかしいかも知れません。
かにカニエクスプレス 181 系気動車
こちらは雷鳥です。
雷鳥 485 系電車
大阪駅では途中下車して駅周辺を少し歩いてみました。駅の北口には梅田貨物駅の一部が廃止され、再開発工事がスタートしています。駅の北口も同時に再開発されるようで、工事をしていました。
工事中の JR 大阪駅北口
梅田貨物駅側の工事囲いは、いたずらされて壊れているのかと思いましたが、わざとこうしてあるようです。
不思議な工事現場囲い板
不思議な工事現場囲い板の説明
駅から少し西の方へ歩くと大阪動物専門学校があります。窓から犬が顔をだしています。
大阪動物専門学校
でかい...
でかい犬
かわいいけど、ちょっと怖くもありました。
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この話読むまで、銀河って勝手に大垣夜行?(ムーンライトながら)ってのと混同してた^^;。
青いラインの車体を大勢の人が懐かしく
思い、また昭和がひとつ消えていくので
寂しいと感想を述べられていました。
私も2回ほど乗ったようです。廃止される
とは残念です。
なんじゃそりゃ? と思って Google で検索してみると、確かにヒットしました。しかもトップ...
なんなんでしょう...?
JR の駅名は "餘部駅" で、鉄橋名は "余部鉄橋" と使われている文字が違うからです。そのため、それぞれ、わざと違う文字を使って書いています。